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立会川の龍馬 [時代・新選組]

ryoma_tachiaigawa.jpg京急線の立会川駅前に立つ龍馬。

この辺りは当時土佐藩抱(かかえ)屋敷があり、ペリー来航の嘉永6年(1853)にこの場所に砲台建造の許可を幕府から得て、翌嘉永7年(1854)に大砲8門を擁する浜川砲台(現在は水道局のポンプ場)が造られました。

未確認ですが嘉永7年の2月9日に大砲の設置が完了し、2月中に長さ六間、幅二間半、高さ九尺の防弾用の堤も完成。当時江戸で剣術修行中だった龍馬も、藩の命令でここでの警備に一人の兵士として参加することになったわけです。しかしながら幕府は17日に土佐藩守備兵へ退去命令を出したため、龍馬が最初からここの警備にあたったとしても10日程度ということになりますかね。

今や周辺は埋め立てられて当時の面影はありませんが、宅地造成が行われた際に、浜川砲台に使われたとみられる敷石が多く見つかり、それを記念して高知市からこの龍馬像が贈られたのだそうです。この地に龍馬の像があるのは、そのような縁に因るものなんですね。

最初は外国人の首をとってみせると手紙に書いていた龍馬も、黒船を目の当たりにしたこの時から、物事を大局的にみる力が人より抜きん出てきたのかもしれませんね。だとすればここに龍馬の像が立っているのも、まんざらでもないわけか。

さてこの像、ちょっと前までは駅の改札を出てまん前にありましたが、駅を出ると左側にちょっと行ったところに立っています。ちょっと立派になりましたよ、台座が♪次の大河が龍馬伝ですしね、これから訪れる人が増える・・・かな。あやかりでも地元はチャンスぜよ。

立会川の龍馬像

 


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