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いきなり会津若松~鶴ケ城 [くま旅百景]

前回の続き。

いざ鶴ケ城へ。一般的に鶴ケ城と呼ばれていますが、若松城、会津城とも呼ばれています。それは昭和9年に国の史跡に指定された際、当時の文部省は所在地を城の名前として登録していたため、若松城となったようです。古い文献などでは会津城とも書かれているようです。

今の天守は1965年の鉄筋コンクリートによる再建で、中は郷土博物館になっています。戊辰戦争の際は大砲が撃ち込まれて相当傷んだようですし。屋根瓦は、幕末から明治の解体前と同じ赤瓦への復元工事が、今年3月に終了したばかりでとてもきれいな姿になっています。行った5月2日はまだ桜が残っている状態で、思ったとおりお城と桜はよく似合います。それと、鶴ケ城は土井晩翠の荒城の月のモチーフにもなったとのこと(青葉城もだそうです)。

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この鶴ケ城は、幕末の戊辰戦争の際に会津藩がひと月の間立てこもって西軍に対抗しました。その後ついに開城したものの、当時攻めていた板垣退助の軍勢に薩摩の援軍が加勢したものの落ちなかったとのこと。下は天守閣から見おろした所です。高い高い^^;

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鶴ケ城といえば、関連して白虎隊の悲劇はよく知られている話ですよね。鶴ケ城が落城したものと勘違いして、もはやこれまでと飯盛山で自刃してしまいます。その飯盛山の方角がこの方向。画面左に赤白のポールが立っていますが、その向こうの山腹がちょうど飯盛山の現場です。その時も実際は城は落ちていなかったのです。

急所がそれて生き残った1名の白虎隊士飯沼貞雄氏が生前語り伝えた所によると、実は落城を悲観して自刃したものではなく、城へ戻って敵と戦うことを望む者と、敵陣へ斬り込んで玉砕を望む者とに意見が別れたが、いずれにせよ戦いに勝ちは望めず、生きて捕まり恥をさらすよりはと、会津武士の誇りを胸に自刃を決行したと。

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飯盛山は次の日に行くとして、今日は城を撤収。途中「お城ボくん」を発見。これどっかで見たことあると思ったら、タイムボカンなど手がけた笹川ひろし氏(会津若松市出身)によるデザインなんだそうで、どうりで今週のびっくりどっきりメカ!って感じですな^^。ちなみに観光PRキャラクターであります。

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城を出たところで売っていたクッキーシューとあげまんじゅうが美味しそうなので買い。クッキーシューは即食べてしまいましたが美味しかったなぁ。

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さて、この後はいよいよ久々に新選組がらみだ^^♪


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チヨロギ

こんなところでタイムボカンと出会うとは!(笑)
お城ボくん、ちょっと歩きにくそうですね。(;゚(エ)゚)
天守閣、高所恐怖症の自分にはとても登れそうにありません・・・orz
by チヨロギ (2011-06-02 23:44) 

そーすけ

☆チヨロギさん
そそ、意外な出会いでした^^。
多分、しろっしろっしろっ・・・って歩くんですよ(笑)
天守閣は見た目よりそうでもありませんから大丈夫ですよ~。自分も高いとこだめですけど、大丈夫でしたし。
by そーすけ (2011-06-03 23:53) 

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