飯盛山《会津》 [くま旅百景]
年末も近いですが、今年のGWに行った会津の飯盛山について。
春のことだったのに、いろいろ思ってしまってなかなか書けなくて、こんな時期になってしまった。でも書かなきゃ。書いておきたいし。
飯盛山というと白虎隊自刃の地として有名ですよね。白虎隊は幕末の戊辰戦争の際、幕府軍として最後まで西軍(新政府軍)と戦った会津藩の17歳以下の少年たちで構成された部隊。当初は後備の予備部隊として編成された部隊でしたが、戦況の悪化と少年たち自らの嘆願によって戦闘部隊に所属するようになったといいます。
1868年(慶応4年)8月、母成峠を破った西軍は一斉に会津領内に入り、22日には早々に猪苗代城を陥れ鶴ヶ城に迫って来た。白虎隊は藩主と共に滝沢本陣まで出陣していたところ、前線からの援軍要請が来た。このとき本陣には白虎隊以外の兵はいなかったため、少年たちが戦場に向かった・・・これが悲劇の始まりになります。
明けて23日夜明け近くから激しい戦闘が始まり、白虎隊はよく戦ったものの数に勝る西軍にジリジリ押されて退却を開始。少年たちは傷つきながら敗走し、やっとのことで飯盛山の中腹にある、厳島神社の境内までたどり着いた。
城の方角からは砲声や銃声が鳴り続けている中、疲れた足をひきずりながら、飯盛山の中腹にある松林の見晴らしのきく場所へ移動。体を休めるものの初めて体験する凄まじい戦闘と、睡眠不足で少年たちは疲れ切っていた。
ここからはよく演じられたり話を聞いたりするところですが、移動した場所から見る鶴ヶ城は煙につつまれ、天守閣が燃えさかっているように見えた。予想もしなかった光景を前にして、心の支えであった鶴ヶ城は落城し、もはやこれまでと思い、最後まで会津武士らしくあろうとした少年たちは、鶴ケ城を臨み一礼してから次々に自刃した。
語られている白虎隊の悲劇の物語ですね。
◇ ◇ ◇
3.11の震災のあとの風評被害が激しく、GWだというのにさっぱり観光客がいません。例年であればおみやげ屋とか、飯盛山一体は観光客で溢れていたはずで、「立ち止まらないでください」とか、いつもの混雑ぶりが想像できる立て札などがたくさんありましたが閑散としてました。まぁ自分にとってはゆっくり歩けて良かったのですけど、タクシーの運転手とか団体客が全然来ないとぼやいてましたっけ。
この地図の番号は記事内の写真の場所です。
行った時間は確かに朝でしたけど、GWでこの閑散ぶりはないですよねー。会津は大丈夫だっていうのに。
①
山の上まで楽に行ける有料のスロープコンベア。坂に設置された大きなベルトコンベアですな。隣に階段の道もあります。元気な人なら全然大丈夫なくらいの距離なんですが、お年寄りや足腰悪い人には嬉しいでしょうねー。自分は、元気だけど観光客なので乗りましたよ♪
②
登りきるとこんな感じでです。横の階段の道もそれほどじゃないでしょう。写真に写ってる子供連れの方は、同時スタートくらいで登り始めた人なので、速度的にはそれほど早くないと思いますよ。春だから桜も咲いてる♪今年はあちこちでたくさん桜を観たっけなぁ。
③
登りきると小さな広場になっていて、左側に白虎隊士の墓、右から降りると白虎隊士自刃の地になります。下の写真は登りきって左側の白虎隊士の墓方面に向いたところです。右端に写ってるのが白虎観音。
④
この奥に白虎隊士の墓所です。
⑤
墓所の中にある松平容保公が白虎隊に詠んだ弔歌が刻まれています。
「幾人の涙は石にそそぐともその名は世々に朽じとぞ思う」
⑥石に刻まれた歌は読みづらくなってますが、この札のおかげでわかりました。
白虎隊墓所とは反対側にある階段を降りると、少年たちが自刃した場所になります。この場所は混雑時は人であふれるらしく、階段横に立ち止まらないで下さいと立て札がありました(左の札)。下に少し人が集まっている場所が自刃の場所です。
⑦
白虎隊士自刃の地です。ほんの140年ちょっと前です。ここで少年たちは戦火に包まれた城下を見たのですね。真ん中に城下の様子を確認している少年の像があります。
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白虎隊の少年たちが見たであろう場所、少年像の後ろから城下を撮ってみました。下の写真ではわかりませんが、ほぼ正面遠くに鶴ケ城が小さく見えます。
⑧
このあと、さざえ堂方面に山を下って帰りましたけど、飯盛山は桜がきれいでいいところですね。さざえ堂も面白かったので、また紹介できればと思います。って言うか、もう!会津いいとこですね!!
官軍幕軍ではなく、【おらが殿様容保公】に対する忠誠心で一杯だったんではないでしょうか?
以前NHKの歴史番組で、この時期の低気圧の雨が少年たちの体力をことごとく奪っていったという事を知りました。
気力も体力も低下し、攻撃を受け炎上する城下を見下ろし「もはやこれまで」と【絶望】という文字だけが浮かんでいたことと思われます。
歴史にもし・・はないですが、少しでも条件が違っていれば、まったく別の展開があったのでは。と、涙してしまいます。
いつか絶対行きたい場所なので、路銀が貯まるよう、頑張って働こうと日々思う今日この頃です。^^
by うみのつばめ (2011-11-20 06:27)
☆つばめさんコメントありがとうございます^^
やっと書くことができました(汗)。
白虎隊が敗走中には、確かに天気が荒れ模様だったようですね。つばめさんの考えるように、遠くに燃えている街やお城をに目にして、一気に絶望感がこみ上げてきたんだと。
史実の通りの場所が目の前にあって、「そこ」に行くとやっぱり身が引き締まるっていいますか、そういうのがありますね。
「そこ」に行くってのは、本を読んだり、映像を見たりするのとはまた別に意味があることかと思ってます。つばめさんも、近いうちに是非訪れてみてください。
by そーすけ (2011-11-20 17:03)
うっわーーーー!GWなのにこんなにガランガランとは。これじゃ観光業はやっていけませんよねえ。う~ん・・・・・・・・
by Terry (2011-11-20 18:15)
☆Terryさんこんちゃー
でしょー。いくら朝とはいっても夜明けではないんだから、これはないですよねー。
団体客が軒並みキャンセルになって大変だったそうです。
今は少し持ち直していればいいんですけどねぇ。
by そーすけ (2011-11-22 00:45)