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千葉灸治院跡 [地名萌え倶楽部]

前回はGW中、芭蕉さんの奥の細道の出発点ということで来ましたが、今回も京成千住大橋駅から北千住方面へ歩いてみます。前回とは通りを一本ずらして北千住へ向かってみましたが、やっぱりここは江戸ですねぇ。

今回見つけたのは千葉灸治院跡。墨堤通りを渡ったところでこんな表示と説明板を見つけました。「坂本竜馬 室 千葉サナ」という表示。坂本龍馬の妻と言えばお龍さん。薩長同盟成立直後の寺田屋襲撃事件では、彼女の機転によって龍馬が危機を脱して命拾いするという件は、龍馬系のドラマでは必ず出てきますから。なので、龍馬の妻と言えば多くの人はお龍さんという認識じゃないだろうか。

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でも、そのずっと前の1853年、龍馬が19歳の時に剣術修行のために千葉道場へ入門。1858年に北辰一刀流の免許皆伝となってます。この時に、龍馬は千葉サナと婚約しているようです。(※漢字ではサナ⇒佐那と書くらしいのでこの記事は”佐那”とします。)

この千葉佐那とはどんな女性だったかというと、北辰一刀流剣術開祖千葉周作の弟・小千葉(桶町)道場千葉定吉の次女であり、14歳にして免許皆伝、しかもとびっきりの美人だったという。それで腕もたつということから、千葉の鬼小町と呼ばれていたとか。これじゃ龍馬じゃなくても注目する女性ですね。1863年には龍馬の姉の乙女さん宛の手紙にも佐那を紹介しているようです。

ところがその翌年1864年に龍馬はお龍と出会って、1866年のあの寺田屋事件の後お龍と結婚しています。(余談ですが、お龍さん、佐那さんのことをボロカスに言ってたようですw、佐那と龍馬の関係はとても深かったのかもしれませんねぇ・・・)

千葉佐那は「自分が龍馬の妻」と、龍馬の桔梗紋付きの片袖を形見として生涯持ち続けた。と。生涯独身を通し続け、一途な女性像としてロマンなお話にもなったこともありますが2010年には結婚していたという明治時代の新聞記事が発見されています。そのあたりの佐那に興味があれば、こちらに詳しいことがありますのでよろしければ。

ウィキペディア 千葉佐那
足立区ホームページ 千葉さなと千住中組の千葉灸治院

さて、灸治院ですが、明治15年に千葉佐那が開業し、明治21年この地へ移転し佐那が亡くなる29年までは、ご自身もここにお住まいだったようです。


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思いがけない場所に出会うのは楽しいです。江戸が面白いですよ!


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