いきなり会津若松~近藤勇の墓《天寧寺》 [時代・新選組]
鶴ケ城を後にして次に向かうのは、天寧寺にある近藤勇の墓。会津に来たら是非訪れてみたかったところなんです。
ここにある近藤勇の墓は会津藩によって建立されたもので、新選組は会津藩の松平容保公が京都の治安維持のため京都守護職にあった時に、会津藩の支配下として幕府のため、朝廷のために大いに働いたんですね。会津とはつながりが深いんですね。
鶴ケ城前のバス停から周回バスのハイカラさん号に乗って十数分でしょうか(感覚ですから、実際はもっとかかってるかもしれません。)。奴郎ヶ前(やろうがまえ)停留所で下車。
周りは景色がひらけた所でここからは徒歩ですが、ちゃんとした地図もないのに辿りつけるか不安になってきた^^;でもよく見ると、手作り風の案内版なんかもあって、特に問題はなさそうです。
広いバス通りから一本裏に入ったところにも分かりやすい説明板があるので、道は間違いないこの先だなと確信。本来ならもっと観光客がいるのかもしれませんが、原発事故の風評被害の影響かほとんど人がいません。実際近藤さんの墓を目指して来ていたのは、自分と奥さんと、もう一人若い女性だけだったようです。寂しいですねぇ。2004年の大河の時にはかなりの人が訪れていたようです。
しばらく行くと石段があって、この先に本堂があります。
本堂の前に案内図がありましたが、これによると近藤さんのお墓はまだこの上にあるようですね。時間があれば本堂でお参りを済ませてからこの先を登りましょう。
ここから先はこのような山道です。傾斜がきついところもありますし足元が悪いので、必ず歩きやすい靴を履いて来ましょう。眼下の景色はいいんですけどね、ちょっと寂しい場所ですよ。
そしていよいよ到着しました。左側が近藤さんのお墓です。右には土方さんの碑ですね。近藤さんの墓は、会津で療養中の土方が請願して会津藩が建立したもので、墓には京都三条河原から奪い返してきた近藤の首をが埋まっているとか、遺髪が埋まっているとか伝えられています。
NHKの大河ドラマ「新選組!」では、斎藤一が松平容保の命でさらし首になっていた近藤の首を京都三条河原から奪い返したことになっていました。近藤勇の首は実際に何者かに奪われているので、もしかしたらそうなのかも知れません。そしてこの墓に埋められたのかも知れません。・・・わかりませんね、でも一つ確実なのは、戊辰戦争の際に土方歳三が実際にここへ来てこの墓を立てたという事実。墓の前にも立っていたであろうという事実。そして時を隔てても、その同じ場所に今自分も立っているということ。そう思うと鳥肌がたつような不思議な感じがしますよ。そんなことを感じながら、少し陽が傾いてきた山道を下ったわけです。
これから行こうと思われる方は、次のことに注意して訪れてください。
- この辺は人気がありません。ひとりだけでの参拝は特に注意して下さい。道は山道ですので足を踏み外したりして動けなくなったら大変です(ちょっと大げさ^^;)。
- また、女性一人での参拝は気をつけてください。特に暗くなりそうな時間に行くのはやめたほうがいいです(これはホント)。
いきなり会津若松~鶴ケ城 [くま旅百景]
前回の続き。
いざ鶴ケ城へ。一般的に鶴ケ城と呼ばれていますが、若松城、会津城とも呼ばれています。それは昭和9年に国の史跡に指定された際、当時の文部省は所在地を城の名前として登録していたため、若松城となったようです。古い文献などでは会津城とも書かれているようです。
今の天守は1965年の鉄筋コンクリートによる再建で、中は郷土博物館になっています。戊辰戦争の際は大砲が撃ち込まれて相当傷んだようですし。屋根瓦は、幕末から明治の解体前と同じ赤瓦への復元工事が、今年3月に終了したばかりでとてもきれいな姿になっています。行った5月2日はまだ桜が残っている状態で、思ったとおりお城と桜はよく似合います。それと、鶴ケ城は土井晩翠の荒城の月のモチーフにもなったとのこと(青葉城もだそうです)。
この鶴ケ城は、幕末の戊辰戦争の際に会津藩がひと月の間立てこもって西軍に対抗しました。その後ついに開城したものの、当時攻めていた板垣退助の軍勢に薩摩の援軍が加勢したものの落ちなかったとのこと。下は天守閣から見おろした所です。高い高い^^;
鶴ケ城といえば、関連して白虎隊の悲劇はよく知られている話ですよね。鶴ケ城が落城したものと勘違いして、もはやこれまでと飯盛山で自刃してしまいます。その飯盛山の方角がこの方向。画面左に赤白のポールが立っていますが、その向こうの山腹がちょうど飯盛山の現場です。その時も実際は城は落ちていなかったのです。
急所がそれて生き残った1名の白虎隊士飯沼貞雄氏が生前語り伝えた所によると、実は落城を悲観して自刃したものではなく、城へ戻って敵と戦うことを望む者と、敵陣へ斬り込んで玉砕を望む者とに意見が別れたが、いずれにせよ戦いに勝ちは望めず、生きて捕まり恥をさらすよりはと、会津武士の誇りを胸に自刃を決行したと。
飯盛山は次の日に行くとして、今日は城を撤収。途中「お城ボくん」を発見。これどっかで見たことあると思ったら、タイムボカンなど手がけた笹川ひろし氏(会津若松市出身)によるデザインなんだそうで、どうりで今週のびっくりどっきりメカ!って感じですな^^。ちなみに観光PRキャラクターであります。
城を出たところで売っていたクッキーシューとあげまんじゅうが美味しそうなので買い。クッキーシューは即食べてしまいましたが美味しかったなぁ。
さて、この後はいよいよ久々に新選組がらみだ^^♪
いきなり会津若松 [くま旅百景]
例年GWは遠くには行かないのですが、今年は宿とチケットが取れてしまったので会津若松へ一泊行ってきました。すっかり休み気分なんか抜けてしまうくらい、今回も遅い記事になりましたが良かったら読んでやってください^^;
震災と原発事故の影響で福島と言うだけで、キャンセルが相次いでいるとか。旅行開始6日前にホテルの空きを確認>ほんとに空いてた。列車の指定席を確認>これも連席で確保できた。> GO!
私青森県出身なのですが、福島は行ったことがなくて、でも会津は是非行ってみたいと思っていました。新幹線より時間はかかりますけど、気軽に東武電車に乗っていけるので東北とは言っても感覚的には近い感じがします。
北千住から東武特急スペーシアで鬼怒川温泉まで行って、そこから会津鉄道に乗り換えてしばら~くを走ると会津若松駅に到着。会津鉄道の列車はこんなかわいい赤い電車の2両編成でした。ボディには赤べこのあかべぇ。震災後ですからがんばろう福島のラッピングも。
会津若松駅は賑やかでした。この会津鉄道線とJR線が入ってて電車も賑やか。ここは磐越西線のSLも発着するので、時間が合えばSLも見られます(帰るときにちょうど見られましたがそれはまた後ほど)。これはJRのあいづライナー、旧国鉄特急車両の懐かしい顔ですねー。
改札は赤いあいづライナーを模したデザインでなんかかわいい。赤べこあかべぇ。JR九州の赤色とはまた別の赤色ですよ。
会津若松駅~さすがに観光地の駅ですね。駅前も広くて立派な駅舎。手前の像は白虎隊士、奥の駅の入口にあるのは巨大赤べこ。大きいのに首がぐるんぐるん揺れます。
市内を周回するレトロ調ボンネットバスのハイカラさん号。駅を起終点として、七日町→鶴ケ城→飯盛山と回ります。便数は少ないですが逆周りのあかべぇ号もあります。運賃は200円均一。1日乗り放題のフリー乗車券は500円で、あかべぇ号にも乗れます。3回乗ったら元が取れるのでこのほうがお得ですね。
そうそう、このハイカラさん号、残念なことに狭いし、車両のクッションは固いし、乗り心地はお世辞にも良いとは言えませんでした。まぁ、そういうところもレトロ調ということですかね。これに乗ってまずは鶴ケ城へ~。
ちなみにこっち(←)のあかべぇ号は、普通の小型のタウンバスなので快適です。車両が新しいせいもあるんでしょうけどね。
でもその前にどうしても1つ気になっていたところ。一つ手前の北出丸大通りで下車。
ここは、戊辰戦争終結の地ということで、会津藩の降伏調印式が行われた所。天皇に忠誠を誓って幕末を駆け抜けたはずが、逆賊の汚名を着せられての降伏調印式なのですから、さぞや悔しかったことでしょうね。
上の写真の右に立てられている説明が下の写真です。調印式の模様が描かれた絵で様子がわかります。城前の路上、錦旗のもと右のほうでふんぞり返ってる新政府軍に対して、降伏調印に臨む松平容保公らの会津の面々。
当時はもとより、この屈辱的な扱いは100年以上経っても簡単には拭えないほどの確執が残る1つの大きな理由かと思います。この説明もあくまで西軍。官軍という言葉は出てきません。
会津藩家老の西郷頼母邸跡もこのすぐ近く。幼児を含めて一族21人の自決の悲劇の地もこのすぐ近くだったんですね。
周遊バス、ハイカラさんとあかべぇについてはこちら → 会津若松観光物産協会
他のバス情報はこちら → 会津バス
空の境目 [なんでも帳]
今日はお昼までは暑くて晴れていたのに、午後から急に気温が下がって、西のほうから冷たい雨が迫ってきているようです。
そんな急激に天気が変わるときは、空にこんな境目ができます。180度の視界でこんなのが見られるのはちょっとワクワクするじゃない。前線の縁だよね。
エバーフレッシュ始動 [なんでも帳]
5月も半ばを過ぎて、もう寒い日はほとんどなくなることがわかったのか、ウチのエバーフレッシュは万全の準備をしていたと思われる新芽の葉が一気にほぐれました。ちょっと茶色っぽいのが新しい葉です。季節というか、さすがに変化がわかるんですねぇ彼には。相変わらず奔放に育ってます。
この中にまぎれてたつぼみを2つ発見。またぼんぼりのような花が観られるのは楽しみ♪今年は何回咲いてくれるかな。
5点とった記念 [すすめ!イーグルス]
5月15日ロッテマリーンズ戦。
ラズナーがアクシデント降板したものの、安心の継投で5点逃げきり。
うーん、2点以上とったのって、いったい何日ぶりなんだっけ。
そんなゲームを観戦できてラッキーでした。記念のスコアパチリ。
(半分イヤミだよ)
赤べこのあかべぇと、会津のだららんリラックマ [くま旅百景]
福島といえば「赤べこ」。
北海道の木彫りの熊の置物と並ぶ、子供の頃はどこの家にもあった置物じゃないかな。っていうかもしかして東北だけかもしれないですね^^;ウチの実家にも確かあったなぁ。
今はこんな可愛い赤べこの「あかべぇ」が。これはピンバッジ。
このあかべぇは会津のマスコットで、観光案内や磐越西線などの車両にも描かれています。自分が乗った会津鉄道の車両にも描かれていました。ピンバッジは中の台紙と一体でかわいいすねぇ。動くあかべぇを見つけたので隣に置いてみた^^。
(c)Tadabo
↓そして会津鉄道の車両に描かれたあかべぇ。
さらに自分のバッグに装備されたあかべぇ。これで当面敵なし。(意味不明)
奥さんの買ったハンカチに描かれたあかべぇ。桜と桜色で描かれた鶴ヶ城とさざえ堂が地柄です。鶴ケ城とさざえ堂にも行ってきました。その際のことは後ほど書かせていただきます♪
可愛いので、ついでにぷくぷくシールを買ったけどなにに貼るのか奥さん次第。貼られそう・・・
そして・・・あかべぇではないですが、ご当地だららんリラックマ。鶴ケ城で買ったのですがこれは笑えます。リラックマときいろいとりの白虎隊であります。こんなやる気のないことでは英霊たちに怒られないんだろうか。
よくみると鉢巻に白虎隊の小っさい文字が!これが買った理由です(笑)。
ちなみに奥さんの携帯にはもうひとつのバリエーションリラックマ。赤べこでだららんです。あかべぇもいますよ♪
さて、次はやっと鶴ケ城や飯盛山の記事にするべか。
会津若松観光物産協会のホームページは、こちら。
納豆ラブ《会津編》 [くま屋の入荷便り]
5/2、3と会津若松に行ってきました。はい観光です。行ったところはまた後ほど、それよりも納豆(笑)。
泊まったホテルの朝食にでた納豆が美味しかったんですよ。なのでご飯にはかけずに2つ食べてきました。この野口英世青春通り納豆。豆は大粒で美味しいんですよ。九州に行ったときの納豆も美味しかったけど、旅行先でおいしい納豆にめぐり逢うと幸せでありますね。
街のスーパーを覗いてみたら売ってた♪歓喜して迷わず購入してお持ち帰り♪今夜食べます。
でもねーおみやげより先に納豆を買うのはどうなのって?ウチでは普通です(笑)。
そうそう、現地で乗ったタクシーの運転手とお話しましたけど、会津若松は地震の被害は殆ど無かったそうです。原発による放射能もことも特に影響はないです。
心配しすぎないで、時間と余裕のある方は遊びに行ってみましょうよ。いいところでしたよ。
会津若松市長の放射能安全メッセージはこちら。