島津義弘陣地へ着陣 [くま旅百景]
引き続き西軍陣地巡りに出発。
ここで改めて今までのルートをマップ上で確認してみます。決戦地→石田三成陣地跡→島左近陣地、そしてココカフェランチでひと休み。その後はいよいよ島津義弘陣地跡に向かいます。オレンジのラインを移動しました。
現地で歩いてみてよく分かるのは、古戦場とされる関ヶ原は思いの外狭い。戦のさなか、三成が自ら馬駆けて島津陣地へ出向き出陣を要請したとされます。この辺は高低差もあまりないので、この距離ならなるほどと思えます。
関ヶ原での両軍布陣の様子を俯瞰した、わかりやすい動画がありました。時間経過での軍勢の動きも盛り込まれたら、また面白いものになったかもしれませんが、回転するので軍勢からの目線での相対位置がつかみやすいです。
島津義弘の陣地跡です。本来は徳川支援で来たものの、成り行き上西軍として関ヶ原に参戦することになってしまったとのこと。それよりも有名なエピソードは、後方へ退却せず、前方の敵に向かって敵中強行突破した撤退戦が「島津の退き口」。さすがに犠牲は多かったようですが、西軍は敗れても島津ありと全国に武勇を知らしめたエピソード。
島津義弘は後に、小早川勢の寝返りで大混乱の西軍の中にあっても、「5000の島津兵であれば勝てた」と言い放ったと。
「島津の退き口」のエピソードによって、後世まで「島津強し」のイメージを日本中に定着させたさことの功績は大きかったですね。